瞑想とは何でしょう?
私達の大半は、ほとんどの場合、自分の思考と感情によって動かされ、支配されています。よって私達は、自分自身がそれらの思考と感情だと考えてしまいがちです。瞑想とは、単純にただ在るという状態であり、肉体やマインドに邪魔されることなく、ただ純粋に経験するということです。
それは自然な状態なのに、私達はどのように手に入れるかを忘れてしまっています。
瞑想という言葉もまた、もっと正確には、瞑想方法として使われています。
瞑想の方法、テクニック、方策とは、それによってボディマインド(身体とマインド)から距離を置くことを容易にする、内なる環境をつくりだす為の方法です。
始めのうちは、構成を持つ瞑想方法を実践する時間をとる方が助けになります。
日々の生活の中や、仕事や、娯楽の時、ひとりでも誰かといっしょでも実践できる、たくさんのテクニックがあります。
瞑想の状態――くつろいだまま気づき、意識的で、中心に根付いている――が、ただ通り過ぎていく経験ではなく、呼吸のようにその人にの本質になるまでは、メソッドが必要です。
瞑想に関する一般的な誤解
瞑想とは......
1) 精神的な探求をしている人々だけのものでしょうか?
瞑想で得ることは、多様です。その中でも中心になることは、くつろいで、しかも努力なしに気づきに満ちていられる様になることです。
瞑想は、本当にすべての人にとって役立つ道具です!
2)「マインドの平和」を得るための、日々の訓練でしょうか?
マインドの平和という言葉は、矛盾しています。
そのまさに本質において、マインドは慢性的批評家です。瞑想を通してあなたが発見できることは、あなた自身と批評との間に距離を置くコツを知ることです。
それは、思考と感情によるサーカスを続けるマインドが、あなたが本来持っている沈黙の状態に、もはや侵入しないようにする為です。
3) マインドをコントロールしたり 『従わせる』 ことによって、もっと思慮深くなるための、精神の訓練または努力でしょうか?
瞑想は精神的な努力でもなければ、マインドをコントロールする試みでもありません。
努力とコントロールは緊張をともない、緊張は瞑想の状態とは正反対です。
さらに、マインドをコントロールする必要などなく、マインドとその働きについての理解が必要なだけです。
瞑想者はマインドをコントロールしたり、もっと思慮深くなる必要はありません。意識的であることにおいて、もっと成長する必要があるだけです。
4)焦点を合わせ、集中し、熟考することでしょうか?
焦点を合わせたり、集中したりすることによって、気づきは狭くなります。あなたはひとつの対象に集中し、他のすべてのことを除外します。
反対に、瞑想はすべてを取り込み、あなたの意識は広がります。
熟考者は対象物――たいていは、写真や神感を受けた格言などの宗教的なもの――に焦点を合わせます。
瞑想者は特に何かに対してではなく、単純に気づいています。
5)新しい経験でしょうか?
そうである必要はありません。
スポーツマンは、彼らが「ゾーン」と呼ぶこのスペースを知っています。
芸術家もそれを知っています――歌うこと、絵を描くこと、楽器を奏でることを通して。私達は、庭で働いたり、子供と遊んだり、海岸を歩いたり、愛を交わすことを通して、それを知ることができます。
子供の頃に、そんな経験を持ったことがあるかもしれません。瞑想は自然な状態であり、おそらくその味わいの名前も知らずに、あなたは確かに味わったことがあるでしょう。